浪速区

浪速区には64の個性的な町がある

大阪市内の都心部における需要の高まりや、再開発の進展などから、浪速区内にも新しい高層マンションが建設され、住宅地としての需要も高まっています。

また、浪速区には商業施設が多く立ち並んでいることから、日常生活に必要な施設が充実しており、暮らしやすい環境が整っています。大阪市内の主要駅にも近いことから、交通の便も良く、アクセスの面でも住みやすさを感じることができます。

浪速区は日本一面積の小さな行政区に64の町がある

大阪市浪速区は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つで、日本一面積の小さな行政区ですが、64の町があります。

浪速区の町

芦原 1 – 2丁目、稲荷 1 – 2丁目、恵美須西 1 – 3丁目、恵美須東 1 – 3丁目、戎本町 1 – 2丁目、木津川 1 – 2丁目、久保吉 1 – 2丁目、幸町 1 – 3丁目、桜川 1 – 4丁目、塩草 1 – 3丁目、敷津西 1 – 2丁目、敷津東 1 – 3丁目、下寺 1 – 3丁目、大国 1 – 3丁目、立葉 1 – 2丁目、浪速西 1 – 4丁目、浪速東 1 – 3丁目、難波中 1 – 3丁目、日本橋 3 – 5丁目(日本橋1 – 2丁目は中央区)、日本橋西 1 – 2丁目、日本橋東 1 – 3丁目、湊町 1 – 2丁目、元町 1 – 3丁目

誰でも地域活動に参加できる11の地域活動協議会

地域活動協議会は、小学校区を基本単位に地域課題に取り組んでおり、地域振興会(町会)や社会福祉協議会などの地域実情を熟知している団体が中心となり構成される団体です。防災の取り組や、夏まつり、子どもの見守りなど、さまざまな行事を地域活動協議会が中心となって活動に取り組まれています。

それぞれの地域活動協議会は、地域の特色やニーズに応じて、様々な事業や活動を行っています。各地域活動協議会の紹介や活動内容は、浪速区役所のホームページで見ることができます。

地域活動協議会は、行政と地域との間に立って、社会の変化やニーズを把握し、さまざまな地域活動を支援する中間支援組織です。浪速区役所では、地域の活動をサポートするために「浪速区まちづくりセンター」を開設しています。

浪速区まちづくりセンターは、地域活動協議会の組織運営や活動、会計に関することをはじめ、地域活動のお困りごと、課題解決に向けたアドバイスや、新たな担い手や地域活性化に繋がる企業・団体とのマッチングなど、あらゆる相談について、アドバイザーとスタッフが応じています。

浪速区の歴史に川は欠かせない

浪速区は、1925年に南区から分区され、大阪市の中央区南部に位置しています。浪速区の名前は、博士王仁が詠んだとされる古歌「浪速津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」から取られた説があります。

かつて浪速区は、海や葦、芦の繁る地であり、大和川と淀川の二大河川が運んできた土砂が浅瀬や洲を形成し、「浪速八十島」と呼ばれていました。

戦国時代には、浪速区は細川・三好両氏の軍事拠点として戦場となり、織田勢の陣や本願寺方の根来・雑賀衆の木津城が置かれました。江戸時代には、大阪から堺・紀州街道が通じ、日本橋から長町、今宮には旅籠や商家が建ち並び、大阪の南口として栄えました。

近代に入り、鉄道網が整備され、木材や農産物などが集まり、木津には大きな市場ができました。日本橋以南の堺筋は商店や古物商が軒を連ね、1903年の第5回内国勧業博覧会以降は新世界がレジャーセンターとしても発展しました。

戦後は、日本橋が焼け野原から電気街として発展しましたが、中小企業や工場主体の地域の活力は落ち始めました。この地域にあった大阪球場や湊町駅の貨物駅などが再開発の対象となりました。バブル崩壊後、再開発は足踏みしましたが、2000年代以降は超高層マンション群やオフィスビル、商業施設の開発が進んでいます。

ミナミの中心だから面白い街

浪速区は、大阪市の中でも活気に満ちたエリアの一つ。ミナミの中心部に位置し、大阪の中心的な観光スポットとして多くの人々に親しまれています。

まずは、グルメの街として有名なこと。道頓堀など、飲食店が軒を連ねるエリアが多く、心斎橋にもアクセスは良好。あちこちで大阪名物のたこ焼き、お好み焼き、串カツ、焼き鳥など、美味しいグルメが堪能できます。

大阪の夜遊びの中心地でもあります。道頓堀周辺には、クラブやバー、カラオケボックスなどが集まり、さまざまなナイトレジャーが楽しめます。

文化や歴史を感じることができる場所も多いのが特徴です。浪速区には、通天閣や新世界など、有名な観光スポットがあります。新世界には、昭和レトロな雰囲気が残る商店街や劇場があり、懐かしい雰囲気にひたれます。